本人
強迫性障害と行動療法について


1.自分の強迫性障害について
昔から自分は何をするにもきちんとしておかなくては気が済まなかった。それは、単なる神経質だと思っていた。
これが強迫性障害だとは思っても見なかった。やっと病気だと気がついたのは倒れてからだった。
自分でやっている事がおかしいとわかっていてもやめられない。
特にひどくなったのは、飲酒後に倒れ、頭の手術をした時、「血」を見て赤色が嫌になってからだった。
白い物にも赤いものがついている様にみえた。
気になるのでそこを何度も繰り返し見てみる。それでもまだ気になると妻に聞く。
妻の返事が自分の納得がいく返事だったら安心するが、そうでない時は気が済むまで聞いていた。

2.今までうけた治療について
2002年10月、妻から病院へ行くことを勧められ精神科へ行った。
病名は「鬱病」だといわれ、薬での治療が始まった。
12月になり、だんだん鬱病がひどくなってきたので入院したほうがいいと書われ、別の病院を紹介してもらい入院した。
その頃はお腹に何か硬い物がある気がして何度もさわってみるが何もない。
この繰り返しをやっていて食欲もなく、体重も減っていった。
病棟がすごかった。全部のドアに鍵がかかっていて自分はもうここから出られず、死ぬのかと思った。
10日間位で退院し、また元の先生のところへ通院し、薬での治療が始まった。
1週間ごとに通院し、薬を合わせてもらうがなかなか自分に合う薬がなく、つらい日が続いた。
その間も血圧は下がり、倒れたり、フラフラしたり、また足にはむくみがでて、とうとう一人では歩けなくなった
それでも、やはりお腹が気になるので1日中さわっていた。だんだん、普通の生活が出来なくなっていく。
しかし、他の事や家族の事を考える余裕などなくなっていた。
ある日、先生から「強迫性障害」ではないかと言われ、一度、別の病院を受診してみるように勧められ今の主治医を
紹介して頂いた。しかし、また別の病院に行くことに対してすごく不安があり、迷った。

3.今、受けている治療について
2003年12月、今の主治医を妨ねた。その日のことは今でも忘れられない。
先生の最初の一言の「治りますよ」という言葉は自分にとって驚きだった。
治療の最初は「逆療法」と言われ、お腹には硬い物がある。でもさわってみると何もない。あるわけがない。
何もないのが本当なのだが、先生にはそこに硬い物があると思いなさいと言われる。
そんなこと、思えるはずがない。頭の中が真っ白になり、自分でどうしていいのか解らないくらいに動揺した。
診察が終わり、帰りの車の中では、運転中の妻を運転もできないくらいに困らせた。
先生はない物をあると思いなさいと言われるが、自分にはとてもそんなことは出来ない。
イライラして帰宅後も落ち着かない。何をする先にもならず、とにかく妻に八つ当たりをした。
でも,先生の「治りますよ」の一言が思い浮かび、治るなら頑張ってみよう。また、普通の生活がしたいと思った。
まず、薬は夜のみ2錠、あとは眠れないときだけ別に1錠だけだった。
前の病院では1日20錠程飲んでいたのでびっくりし、少なすぎるので不安になったりもした。
しかし、次第に毎日の生活の中で、妻の手助けが減り、ほとんど不要になった。
1日の生活を表にしてみると何をして過ごしているのかよくわかる。その表を見ながら「逆療法」と言うことを頭に置き、
自分なりに努力した。しかし、まだその時は妻には自分の気持ちや努力は解らなかったと思う。
今までは、気になるとすぐ妻に聞いていたが、あまりいい顔はしないのですぐ喧嘩になっていた。
2004年10月頃からは気になるけどこれでいいのだと思ったり、嫌なところを何度でも見て自分に言い聞かせた。
以前は一度聞き出すと何時間でも聞いていたが、今では一度聞いてやめるか、ほとんど聞かなくてすむようになった。
これも嫌だった逆療法の効果かと思うと自分に少し自信がもてるようになり、ほめてあげたい気分になることもある。

4.前の治療と今の治療の比較について
前の治療は薬が主だったので、いつも頭がボーッとしていて一人では何もできなかった。しかし、今の治療は行動療法と
薬だが、薬の量は少なく、頭がボーッとすることもなく、普通に一人で出来る。
ただ、行動療法はやはりつらいもので、嫌な物、嫌なことに接し、なれていくのだと思った。
でも、今はこれが普通だと思うことが多くなり、以前の自分のやってきたことはおかしいと思えるようになってきた。

5.この治療をうける他の人に伝えたいこと
最初、先生に行動療法の事を書われたときは、こんな事は出来るわけがないと思っていた。
しかし、日常の生活が成り立たなくなりだし、家の外では他の人にわからないようにしていたのでその反動で家庭での妻に
対しての確認がひどくなった。
治したいという気持ちと先生の治るという言葉を頭の中において生活をしていくと本当に気持ちが楽になり少しずつだが治って
いるのがわかるので、多くの人に伝えたいと思います。
平成17年1月
 
  
家族
私の所は主人が強迫性障害で現在も治療中です。
もともと主人が私に同じことを繰り返し聞いてくる事にまじめに答えていました。
その内にお酒の量がだんだん増えてきて、ある日倒れて頭を打ち、硬膜下血腫という病気になり手術をしましたが,その手術が
きっかけで血が嫌になり普段でも目を細めるか、閉じている事が多くなっていきました。
理由を聞いてみると、何を見てもなんだか赤くついているみたいに見えるらしく、気になるといつも私に尋ねてきました。
私も聞かれるとその気になるところを見て「何もついてないよ」と答えていました。
たんだん頻繁に聞くようになったので2002年10月、精神科に行くことを勧めました。
私としては何をどうしたらいいのか、判らないことばかりでした。
2003年12月、先生の紹介で別の病院に入院することになりました。
そのときの主人はうつの症状なのか、「死にたい」とばかり言っていました。
1週間程入院し、また元の先生の所へ通院するようになりましたが、そこで初めて「強迫性障害」と診断されました。
そこで今の主治医を紹介して頂き、主人と二人で行きました。
行動療法は本人にとって大変つらかったようです。
しかし、先生の最初の「治りますよ」の言葉がとても心強く、それなら私もー緒に頑強ろうと思いました。
それからはまず、薬の種類や量が少なくなり、今まで頭がボーッとしていたのがなくなりました。
2004年5月頃からは確認をすることが少なくなってきました。
私も主人と一緒に先生のご指導を受けてみて感じたことは、今まで確認行為に対してやっていた事は正反対の事だと気がつきました。
主人は「本人でないとこのつらさは判らない」と書いますが、家族にとってもとてもつらいことです。
しかし、先生が言われることは私にとってはつらいことではなく、気持ちが楽になることでした。
今では、私につきまとって確認行為をする事はなくなりました。何度か聞かれる事もありますが、聞いてもすぐ終わったりしています。
そういうところからも今までにはなく、主人も努力していることがうかがえます。
まずは家族も病気の事を知ることだと思います。
治療を受けるのは本人ですが私も先生のご指導や周りの方の協力をいただき、大変感謝しております。
今ではつかず離れずで自分の時間が少しずつとれるようになり、毎日の生活がすごせるようになってきました。
又、月1回のOCDの会に参加でき、いろいろな話を聞け、毎回楽な気持ちで帰れることを感謝しております。
平成17年1月
    



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