不潔恐怖の女性 
入院し行動療法を受けた本人の感想文

 
 私は、最初自分が勤めていた事務所の人達・場所に対して不潔を感じ、家に帰ると戸の開け方から、家族の人がさわらない所、よごれが広がらないように、戸の一番上を持って開け、家に上がるときは、必ず靴下を脱いで上がり、洋服を着替えるときはその洋服をハンガーにかけ、ビニール袋に包んでいたし、着て行く服も決めていたし、それから、顔・手・足を石鹸をつけて洗っていました。そんなことが、どんどん激しくなって行き、事務所でも嫌なことが積み重なって、心も身体も疲れてしまい、結局、事務所をやめてしまいました。 
事務所をやめれば楽になるのではと思っていましたが、その反対で、事務所に持って行っていたカバンや、着て行った洋服など関係のあるものは、捨てたりし、又自分の部屋をふいてまわったり、母と買物に行ったりするときも「ここは通りたくない」とか「この店は、事務所に関係あるところだから嫌だ」とか言って、家族を困らせ迷惑をかけていました。最終的には、外に出れなくなり、家に閉じ込もってしまい、とうとう両親や弟にまでも不潔に感じ、母には八つ当りなどして、けんかしたり、たたいたり、家には自分の居場所がないように思って、毎日泣いていて、自分自身いやになり、こんな苦しく悲しいのなら、病院へと思うようになりました。
 わがままで、病院でも、
I市は嫌だからと遠く離れたK市の方に行き、それでも、だんだんひどくなって、「死にたい」と思うようになり、家での手伝いもできなくなり、掃除などすると、洋服や自分の座る場所など濡れたタオルや、ティッシュで拭いたりするようになりました。だから、もうやりきれなくなって入院を決意して、国立病院を紹介してもらって入院することになりました。
 入院すれば場所も変わって、自分の気持ちも少し楽になるのではと思っていました。でも、それもだめだったのです。 やはり、人がこわくなり、病棟のトイレや廊下、食堂も行けなくなり、行けば洋服を拭いていたし、ベッドの上に洋服を着たまま座れなく、はじめからシーツの上に紙やバスタオルを置いて座っていました。結局、わがままなことで同室の人とも一緒にいられなくなって、部屋を移り、一人だけの入院生活を送るようになりました。
 部屋を出ることも少なく、人がいたり、前の部屋のドアが開いたままになってたりしたら出ていけなく手や洋服などウェッティーで拭いていました。トイレや洗面は、外来まで行き、散歩などは一人でも少しはしていましたが、楽しみは家族が週に一度は必ず来てくれて、散歩やドライブ、グラウンドでのスポーツなど一緒にしてくれた時など、部屋を出るというのは、そのくらいでした。考えることは、本当にこのままでいいのか、何も関係のない人達まで恐ろしいなんて私の心は、汚れきっている死んでしまいたいなど、とっても苦しい毎日でした。
 ただ、先生や看護婦さんが、「必ずなおるから」と言われた言葉だけを頼りにしていました。
 けれども、だんだん落ちるところまで落ちた感じでもう洋服を拭くだけでは終わらず、髪や顔、耳、眼鏡までも広がって、拭いたり、洗ったりしていました。それをすることが、とても悲しくて仕方がありませんでした。 
 ある日、先生から「事務所に行き、その人たちに必ず会わないといけない」と言われたときは、目の前が真暗になり先生とはもう会いたくないなど、わがままを言ってみなさんを困らせました。私も悩み、苦しくてなぜかわからないけれど、家族が夏連れて行ってくれたペンタ共和国に行き、川をみたいと思い看護婦さんにお願いしたのだけれど、身体の事を心配して下さって、「駄目です」といわれました。けれど、次の日の朝、病院を抜け出し、歩いてペンタ共和国まで行きました。そして、川の流れの音を聞き、その中にいて、いろいろ考えたのです。看護婦さんや、家族には、たいへん迷惑をかけてしまったのですが、その帰りのバスに乗ったときの自分の行動が、やはり不自然だし、どこに行っても同じなんだということに気がつきそれで決心し、諦めの気持ちで、先生のおっしゃる通り、やるだけやってみようと思いました。 決心したものの、実際に、
E&RP(エクスポージャーと儀式妨害)という治療にはいるまで、3日ぐらいありましたが、そのあいだと言うものの、とてもこわくて看護婦さんに何回も部屋に来てもらったり、泣いてばかりいました。
 当日は、やるしかないと思い、まず、一番目の項目、佐賀駅・デイトス
(駅商店街)に行くことから始めました。
 一人でバス・汽車に乗り、買物をして、病院へ帰ってからは、トイレに行ったときだけ、手を洗うことが出来、後は次の日の入浴までは、洋服も拭いてはいけないし、ウェッティーを使ってもいけないのでした。
 やってみると、考えたほどではなかったのですが、それも先生や看護婦さんのおかげでした。でも、次の項目にだんだん移っていくたび、心配で、こわくてと言う感じは続きました。 でも、病棟の中が歩けるようになり、食事も自分で取りに行けるようになり、人ともだんだん話が出来るようになっていくたび、とてもうれしくなりました。
 それで、退院することができました。その退院をすることでも、実際家にかえって、やって行けるかとても心配でした。看護婦さんは、「大丈夫」といって、力づけて下さいました。私もがんばろうと思いました。
 自分なりに考えて良くなった理由は、先生・看護婦さんが、とっても考えて下さったことと、自分自身、治療ということで、あきらめの気持だと思います。 
 これから、私の考えていることは、まだ生活設計までは考えられませんけど、これからは、一日一日を大切に、がんばっていこうという事です。




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