治療を受けられた患者さんの治療感想文です。


               入院による行動療法を終えて

 私は今回、約40日間を菊池病院で過ごし、行動療法を受けました。私の強迫の症状は、主に不潔恐怖による洗浄強迫です。今から振り返ってみれば、小さな頃からその症状があったと思いますが、生活等に支障があったわけではなかったので、そのまま過ごしていきました。自分で覚えている限りでは、この病気の始まりは多分幼稚園の頃だと思います。
 ある日、おなかの調子が悪かったのか、おならをして、不快感を感じたか何かでパンツの中を見ると、汚れていました。その時から私は、便というものが恐くなり、また下痢も恐くなりました。以来、便をする時には、とても緊張して「下痢をしませんように」とお祈りをしないとできなくなりました。しかし、大きくなるにつれて「これではいけない」と思うようになり、努力して、お祈りなしでも便をすることができるようになり、自分の中でも小さい頃の笑い話というぐらいになっていました。
 しかし、便をすることが苦手だという意識はずっと持ち続けていました。そして大学1年生のある日から、それは病的になっていきました。
 一緒に暮らしていた祖母が、お風呂の中で便をして、それに気付かずにあがってくるという事件が何度か起きました。しかも祖母は、腰が曲がっていて、床やら何やらよく手をついて歩いていました。さらに家が古いこともあって、祖母や祖母が触るもの・所、家の中などが汚く感じるようになりました。それでも初めは、別に大丈夫だと言い聞かせていましたが、何度目かの時に「もう我慢ができない、どうにかなりそうだ」という思いとともに、一気に不安や恐怖が噴き出して、家中を汚染し、染めていきました。
 それから、手洗いが始まり、家の中で安心できるものは、自分がきれいであると認めたものだけになりました。また、家の汚いものを外に連れて行き、他の人や所に広めてしまうことを恐れるようになり、さらに、外に出ると今度は外から汚れを自分が持って帰るような気がするようになりました。そのせいで、最も汚いもの・次に汚いもの・きれいなものなどといった具合に、あらゆるものを区別して、何をするにも「きれいか汚いか」ということを気にするようになりました。次第にそれがひどくなると、聖域である自分の寝床から起き上がることができなくなり、1日の大半を強迫観念と強迫行為に支配されて、疲れきってしまいました。大学1年か2年頃から、ある精神科にかかり、不潔恐怖とうつ病ということを言われて、薬物治療をうけました。しかし、ひどくなる一方で、ついには強制的に入院させられました。そのときの私は、「入院なんていう共同生活を送れるわけがない」と思い、入院を拒否しましたが、聞き入れられず、なんとかしてそれをクリアーせざるを得ませんでした。
 そこの病院は古く汚く、風呂も入れなかったのでとても苦しい生活でした。そうやってなんとか過ごしたことは、今思えば多少エクスポージャーになっていたこともあり、少しは症状も良くなったようにも思いますが、私が持つ強迫観念や考え方が変わったわけではなく、相変わらずの日々を過ごしていました。大学にも行くだけで精一杯で、なんとか卒業したかった私は、その病院に行くことをやめ、卒業することだけを目標に、しばらく過ごしていました。そして卒業後、そのままで良くなるわけもなく、どうにかしないと就職すらできないと、新たに病院へ行くことを決意しました。その時行った病院から紹介されて、菊池病院にたどり着くことになりました。それでも初めての時は、それまでの経験からあまり期待をせずに行きました。そのころにはだんだんと、「私の病気は一体何なのか。そもそも私は病気なのか。私はきちがいなのだろうか。一生このまま過ごさなければならないのか。世の中で、こんな事で悩んでいるのは私ぐらいのものだろう。」などということを考えていました。
 しかし、菊池病院で「強迫性障害」について知り、そこで初めてこういう病気があって、しかも治るのだということを知って、それは希望の光になりました。そして、菊池病院に通うようになり2・3ヶ月した頃、治すため入院して行動療法を受けることを決意しました。
 3月中旬からの約40日間入院生活を過ごしました。私は20代前半で病的になってから5年くらい経過していました。行動療法の内容は、エクスポージャーと儀式行動の禁止というものでした。最初の1週間は病院に慣れるだけで、実際の治療は2週目ごろから始まりました。まず、初日からの3日間は水に触れることが禁止されました。シャワーも手洗いも一切禁止でしたが、これは意外と難しくはありませんでした。私の場合、ここ1年ぐらいは症状も軽くなっていたし、世の中の全部を私一人できれいにするなんていうことは所詮不可能であると、ある時からあきらめがついていたこともあって、汚れに慣れるということがそんなに苦痛ではありませんでした。また、私は家での生活において、病気を理解できない父親と衝突しないために、我慢して父親の前では、なるべく普通の生活をしているように見せていました。そして、外でも人に知られないように生活していました。そんな所が、振り返ってみればエクスポージャーになっていたこともあって、行動療法に入りやすかったのだと思います。4日目から、シャワーは1日おきに10分以内と許可されました。この何年間の間に、入浴の仕方も独特なものに変化させていたので、正しいシャワーの仕方を教えてもらいました。今回の治療は、正しい生活習慣を新たに身につけるということで、正に、ここから自分は生まれ変わるんだという思いがしました。また、2週目から手洗いは1回30秒を1日に5回までとなりました。ただし、汚染されたものに触ったりトイレの後は、1時間は手洗い禁止です。おしっこの時は大丈夫でしたが、大便をした後はさすがに手を洗いたい気持ちになりました。しかし、治りたい気持ちをしっかり持って頑張りました。そして、それとともにエクスポージャーもしていきました。とても嫌で不安な気持ちでしたが、結構スムーズに1週目2週目と進んでいきました。
 しかし、そうやってスムーズに進むうちに、このまま進んでいいのだろうかという思いがしてきました。他の人から聞いた話では、エクスポージャーをするときは、涙が出たり叫ぶほど大変でつらい思いをするし、前の日の夜は寝れないほど緊張するということでした。でも私はその時点で、そのようなことがありませんでした。それまでの外来での治療カルテから、苦痛や不安を引き起こす状況のリストを作りエクスポージャーをしていましたが最も嫌であるおしっこや便といったものがリストには入っていませんでした。そこを乗り越えない限り意味がないと思ったし、リストは全体的に苦痛度が低いとうことも経験者の人や看護師さんから指摘してもらい、与えられたものをただやっているような気分になりました。また、治療の全体が漠然としていて、自分が今どのあたりにいるのかが掴めていませんでした。いったんそう思い始めると、気分も落ち込み始めてエクスポージャーにもあまり身が入らなくなってしまいました。それで、思い切って先生方に相談し、思っていることをぶつけました。この一件は、そのときどうするべきか悩んでいた私に、アドバイスをくれたり励ましてくれた経験者の人や看護師さんのおかげであり、そういう人がいてくれて本当に良かったと思いました。私の性格からいって、そういう思いを正直に言えずにそのまま進んでいったかもしれません。それではうまく治療を終えていなかったのではないかと思います。
 そうした結果、もう一度嫌なもののリストを全部挙げて嫌な順に並べるという作業をして、それまでのエクスポージャーから、もう大丈夫なものとそうでないものを分けて、取り組む日程を具体的に組んでいきました。
そうして後半の治療へと移っていき、最も嫌な「大便に触る」というエクスポージャーも行いました。
やはりこれが最も大変でした。脂汗と涙がにじみ出て、手はブルブル震えて今にも倒れてしまいそうでした。
しかし、これを先にやったことによって、次からのエクスポージャーへの弾みになりました。こうしてエクスポージャーをやっていくうちに汚いものに慣れて、感覚が麻痺したようになり何が汚いものなのかよく分からなくなっていきました。でも、それがつまりそれまでの価値観を壊すということなのだと思います。別に汚いものに触っても恐ろしいことは起きないし、だんだん不安も下がっていくんだということが、実感として沸いてきました。それまでも、周りの人からそういうことを言われて、言葉としては理解できるのだけれども本当に分かっているわけではなかったと思います。それは実体験を通して体得していくものなのだと思います。
 また、エクスポージャーを毎日続けることも大切だと思います。
というのは、続けることによって、触るまでは嫌だけれども、触っているうちに自分が安心していく実感というもの、その感覚を思い出すからです。
 不安に駆られて手洗いをすることによって得た安心よりも、嫌なものにまみれてしまった方が、不思議なことに、より確実な安心を得ることができるのです。エクスポージャーをしないと、そのことを忘れて、ただ嫌なものを避けようとしてしまいます。だから、これからもやり続けるということがとても大切ではないかと思います。
今回、本当につらい治療を受けて、もちろん自分が「絶対に治すんだ」という強い気持ちを持っていることは大事ですが、周りの人にずいぶん支えられたと思います。
 ちょうど偶然にも、エクスポージャーの経験者でもあり今回私と同じ時期に治療を受けた人がいたことは、私にとってとても幸運でした。それに、看護師さんたちにもたくさん励ましてもらいました。治療以外のところでも大きな支えでしたし、私が落ち込んでいる時は、何も言わなくても向こうから声をかけてくださいました。その他にも私自身が治ったらやりたいことを、具体的に紙に書いたりしてやる気を維持したりもしましたが、今回のタイミングで菊池病院に入院したことは、本当に良かったと思います。
 それから、病棟ではいろいろな人がいて、そういう他の患者さんと一緒に生活することがとても自分にとってはプラスになりました。これまでの私では、汚いといって絶対に許せなかったことも、そこで生活せざるを得ないので自然と慣れてくるし、それがエクスポージャーにもなっていたのだと思います。今回の入院で、世の中というのはそんなにきれいなものではないのだということも、実感として分かるようになりました。
 今の私は、これから先の輝かしい生活を夢見て希望でいっぱいです。これまでできなかったことが簡単にできるようになり、なんでこんなことで悩んでいたのかとさえ思えてくるから不思議です。強迫のせいでつぶしてしまった私の青春時代を、これから取り戻したいと思います。まだ、すべて問題が解決したわけではなく、これから家での生活の中でエクスポージャーを続けていかなければなりません。家の方が気になるものが多いので、うまく避けずにやれるだろうかとちょっと心配ですが、これだけのことができたということを自信に、学んだことを忘れずやっていこうと思います。
 今だから言えることですが、強迫性障害になってこうして治療を受けたことは私の人生に大きく影響を与えています。
 いろんな人の立場や見方、価値観を見ることにつながったし、人間性に深く影響を与えて、きっと自分の人生にとってプラスになっているのだと思います。
 今、強迫で苦しんでいる人には、決して自分が悪いのではなく、そうさせている病気が悪いのだということを知ってほしいし、治る病気であるということも励みにしてほしいと思います。そして、私が今回書いたことが少しでも誰かの役に立てればうれしいと思います。

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